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2008年11月17日 (月)

木食応其(もくじき おうご)と言う僧侶

Img_4937 Img_4947 昨日、行って来ました。

418年前に作られた

木食応其のヒノキで作られた像

からだの中は空洞になっていて、

そこに1590年(天正18年)と墨で書かれている。

お顔のアップは、テレビでビデオが流れていて、それを撮ったの。

なんだか顔にカメラ向けるの失礼な気がした。

お顔が黒光りしているのは、線香の煙やお堂での護摩の法要の煙でいぶされてこうなったようです。

バチ当たるな・・・こんな事して。

・・・・

200円で音声ガイドを借りた。

やっぱり、教えてもらったらよく分かる。

結構な賑わいで、なかなか盛況でした。

・・・・

応其上人は、想像していた人物像ではありませんでした。

・・・・

豊臣秀吉の時代

和歌山・粉川寺・根来寺なとが、焼失したが

高野山の寺の被害がほんのわずかだったのは

時の権力者・豊臣秀吉に、木食応其がだいじにされたから。

「高野の木食と存ずべからず、木食の高野と存ずべし」

「ただの高野山の僧の木食だと思ってはいけない。

豊臣秀吉が高野山の寺を残したのは、木食のために高野山を残したんだと思いなさい」と言ったそうです

世渡り上手な僧侶ってところでしょうか。

・・・・・

しかし、豊臣秀吉亡き後、選ぶ人間を間違えたのでしょうか。

石田光成と通じていると思われて、高野山を降りて他の土地に行くことになったそうです。

それでも73歳往生された。

・・・・・

35歳で高野山に修行

だから、それまでに結婚されていたのでしょうか?

娘もいれば、孫もいるようです。

・・・・・

連歌の才能と、連歌にまつわる人脈の広さ。

社交に長けていたのでしょうか。

・・・・・

豊臣秀吉の時代

木食応其が高野山を秀吉から守った。

人間臭い・・お坊様であった。

・・・・

会っても、興味も湧かないお方のような、気がした。

ごめんなさい。

・・・

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コメント

木食について誤解していました。
 私の知っていたのは木喰で、口が付いている方の喰。 僧だけど仏師として有名です。 木彫りの素朴な仏をあちこちに残した人。
 木食というのはそう言う行を成就した人の呼び名なのですね。勉強になりました。

投稿: flugel GT | 2008年11月17日 (月) 09:11

flugel GT さまへ  デナリ
こんにちは。
木喰さんですか。
仏師って言う仕事、ワクワクしますね。
仏さま作った方ですか、
一回、のぞいて見ます、
木喰仏師の世界も・・・・。happy01

投稿: flugel GT さまへ | 2008年11月18日 (火) 16:11

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