去年の昨日
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1年経った。
あれから1年経った。
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健康診断でレントゲンに陰影見つかって
CT撮って
[縦隔腫瘍]と言う内容の結果が送られてきた。
それで精密検査を受けに行くために{紹介状とレントゲンとCT}を貰いに行きました。
治療を受けるために、資料を持って明日は、大病院に行く・・・・
新しい一歩を踏み出す前日だった。
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その時、貰いに行った施設の前の道路で交通事故。
見上げた建物
車のつぶれた衝撃
胸の骨がぐしゃっと鳴った感触 で我に返りました。
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長い間の記憶がありません。
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しかし、しっかりしていました。
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前の車の無事
保険会社へTEL
110番にTEL
車が動かなくなったものの、もともと施設に入るために左折しようと左端に寄っていたので
路肩に止まっていました。
事故処理の書類を作ってもらうだけでした。
全て一人でしゃんと処理して、相手の車も帰って行きました。
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その後、エンジンかけて何とか施設の大きな駐車場に移動して
JAFを呼んで牽引して運んでもらいました。
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私は
何が何でも明日病院に行くつもりだったので、真知母に連絡して迎えに来てもらった。
そして、紹介状とレントゲンとCTを借りに連れって貰いました。
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今思えば、ふらふらしながらよくまあ全て自分でこなせたものでした。
その施設までも、
施設から自動車修理工場までも、
家までも、
時間があれば、ともかく横になってすぐ寝てしまいました。
血圧下がっていたのでしょうか?
帰宅後は、ただただ寝ました。
痛みは、脇をしめて、腕を挙げなければ息をするくらいでは痛みはありませんでした。
病院に行った方がいい状態だったかもしれませんが、「行ったとしてもどうしようもない」と思っていたし、
翌日、「病院を受診するんだから、その時どうせレントゲン撮るだろう」と思って一晩我慢した。
寝返りはできなかった。
同一体位で体が痛く辛くなった時は、ウ~ウ~唸りながら向きを変えた。
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今から思うと、よくまあ内臓に何も起こっていなかったものです。
もし出血でも何処かでしていたらショックで死んじゃうな
・・・・・やはりキチンと受診すべきだったかもしれない。
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次の日、だーさんの車を借りて、受診した。
重いハンドルは、うなりながら運転した。
ドアを右手では閉められなかった。
駐車場から受付まで
受付から診察科まで
待合から診察室へ移動、
息も絶え絶えソロリソロリと動く様子はまるで本当の病人のようでした。
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診察うけたらスグに手術日が決まった。
胸が痛いと事情を説明する。
胸の真ん中が痛い
・・・シートベルトで骨折でもしたかな・・・そういいつつも軽く触診しただけで
レントゲンを撮りましょうとも言われず・・・・[湿布要りますか?]と聞かれただけだった。
家には、とっとこ太郎が肋骨折れた時に貰ったものがたくさんあったから
「要らない」と言うとほんとそれだけだった。
その日は7月24日だったが、
「8月18日まで日があるから、手術の頃までには治るでしょう」と言われた。
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手術前の入院で嫌ほど休養するってわかっていたから欠勤もせず、
誰にも言わず、勤務は続けた。
赤やんを抱くと胸にこたえた。
両手を脇から伸ばして重いものを持ち上げようとすると痛かった。
しかし、脇をしめた状態だと意外となんとも無かった。
それで、仕事にどうにかこうにか支障が無かった。
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根拠は無いが
何だか事故で厄が落ちた気がした。
治る気がしてきた。
「死ぬんだったら、あの事故で死んでいてもおかしくなかった」
その時、妙に自信と勇気が沸いてきた。
欠勤することもなく・・・・。
ただ、本当に息するのも痛苦しい毎日だった。
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縦隔腫瘍と言われ、手術することになって、おまけに事故で胸が痛い。
歯を食いしばって、意地でも、仕事し続けてやろうと思った。
ため息、嘆きは無用と自分に言い聞かせた。
胸痛い、胸痛いは、連発したが、
凛と胸を張って入院して見せようと覚悟した。
不安な筈の待機の1ヶ月が、胸痛のおかげで怯える間もなく過ぎたのは、考えようによってはラッキーだった。
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胸痛の辛い1週間が過ぎた。
いよいよ入院する頃には、本当に痛みも消えていた。
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まだ1年経っていないんだね。
意外とゆっくりかけて今日があるんだね。
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車は廃車になった。
スグに、だーさんが代わりの車を買って来てくれたから、不自由なく次の車で行動できた。
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車と共に、運命が新しくなった。
去年の昨日だった。
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良くなっるって自信あった。
いいぞ~!!!私。
今日は、手術日が決まった記念日
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